国家公務員辞めて地元中小企業へ転職した話

雑記
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お元気ですか?

ruruです。

今回は私が国家公務員を辞めて転職した話を書いていきます。

入社して間もないけど転職するかどうか悩んでいる方や、今のところ転職する気はないけど興味はある方は、この記事が何かの参考になれば幸いです。

いきなりですが、こういう人は転職した方が良いのでは?

いきなりですが、以下のような人は転職を真面目に考える必要有りです。

  • 職場に行くと、或いは行こうとすると体調が悪くなる。
  • 残業時間が自分のキャパを超えている
  • 単純にブラック企業

1個づつ解説していきます。

「職場に行くと、或いは行こうとすると体調が悪くなる。」

おそらく適応障害です。こんな記事を読むのは辞めて、最寄りの心療内科へ行き、診断書を書いてもらい、まずは休職しましょう。

この状況では転職うんぬんの前に、正常な判断が困難な状況なのでまずは治療が先決です。

後から触れますが、私自身も公務員時代、1のような状況だったため、妻に病院へ連れて行かれ「適応障害」と診断。翌日から1ヵ月休職しました。

心の病気は癌と同様、最悪、死に至る病だと思っています。

「残業時間が自分のキャパを超えている」

長時間残業は適応障害等の引き金になります。

特に、残業の発生原因は多くの場合、個人ではなく、あなたの職場の構造にあります。

その為、個人で業務改善を行い、残業時間を短縮するということは不可能です。ここら辺の話についてはまた別記事で触れようと思います。

よって、キャパを超えた残業により心身を健康リスクに晒しているという自覚を持ち、転職について考えるべきです。なお、私は月の残業時間が230時間を超えたあたりで適応障害になりました。

仕事は生活のための手段です。なのに仕事のせいで体調を崩したら本末転倒だと思いませんか?

「単純にブラック企業」

自分の経験や、家族や友人の話を聞くかぎり、大抵の職場にはブラックな部分があるとは思います。しかしそれが、あなた自身の許容範囲を超えた黒さなら、ストレスで病気になる前に辞める方が身のためではと思います。あなたが大黒柱だったりすると現実的に難しいかもしれませんが、転職自体は 意外と 簡単にできます。

私が転職を決意するまでの経緯

転職など考えもしなかった当時の私

当時20歳だった私は、公務員試験に合格し、純粋に「安定した生活基盤を手に入れた!」と思い、とても喜んでいました。私の両親も同様に喜んでくれました。

入社して最初の2年は残業も特に無く、人間関係にも恵まれていたため、仕事でのストレスというものも特には感じていませんでした。しかし一方で、職場の内外で多くの方々と仕事を進めていく中で、自分が担っている仕事やこれから担うであろう仕事は、自分がやりたかった仕事では無いのではないかという思いもありました。

しかし、贅沢な悩みだと思い、当時は転職の「て」の字さえ思っていませんでした。

3年目の時に自身初の異動(結局この異動が最初で最後になるのですが…)となりました。

新しい部署はそれまでとは比較にならないほど忙しく、労基ボーダーラインの月80時間など普通に超えていました(因みに公務員は労働基準法の対象外らしいです)。

それでも、上司に恵まれ仕事のフォローもしっかりしてもらっており、最初の2年より寧ろ仕事が楽しく思えてさえいました。

しかしある日、過労で心の病気に

災害対応で休日は無くなり、日が変わるまで仕事、下手したら徹夜という状況になりました。

ところが、4年目の時に西日本豪雨災害が発生し、事情が変わってきます。

そんな状況が3か月くらい続いたある日、職場から家までの帰り道で訳もなく涙がでました。

その時は自分が何に泣いているのか全く分かりませんでした。

そして、その後は死ぬ事ばかり考えていました。死ぬことを考えていれば気持ちが楽になる事に気づいたからです。

そしてある日、職場からの帰りに、道路に飛び出して死のうと思いました。

それは、「帰りにコンビニでアイス買お」くらいの軽いノリでそう思ったのでした。

また、そう思った瞬間にいままでの鬱々とした気持ちが少し晴々したのを覚えています。

しかし、いざ帰り道を歩いてみると、深夜だったせいか車もあまり走っておらず、「これじゃあ死ねないなぁ」と残念に思いました。そう思った瞬間、何故か家族や妻の顔などが思い浮かびました。

そして「今自分が死ぬ事は許されない」と思いました。死という逃げ道が無いことに気づき、絶望した気持ちで家路に戻りました。

家のドアを開けると、妻が起きて私の帰りを待っていてくれていました。

妻は私の顔を見て驚いていました。どうやら私は泣きながら帰っていたようです。

その後の夜の記憶はあまりありませんが、妻の話によると、床に着いたかと思うとすぐに起きて、仕事に行こうとしていたようです。

翌日、体調不良を理由に有休をとってから、妻に心療内科に引っ張っていってもらいました。

病院に着くと、医師から、職場に行くのが辛いかどうかや、最近の私の働き方についていくつか質問をした後、「ドクターストップです。1ヵ月お休みしましょう」といわれました。

休職中に転職を考えるようになる

休職中は(当たり前ですが)仕事から解放され、今後も仕事を続けていくのかどうかを冷静に考える時間が増えました。

その結果、自分はこのまま公務員人生を歩むのは無理だという結論に至りました。

無理だと思った原因は、40歳や50歳を過ぎた上司も私と同じように昼夜問わず働いているにも関わらづ、部下のフォローまで気遣おうとする姿を見た事でした。

現状、若く、人生で最も体力があるはずの状態で心身を壊しかけた自分が、40代50代になった時、彼らと同じように働けるとは到底思えませんでした。

また、入社して間もない頃 に感じた 贅沢な悩みについても真剣に考えるようになりました。すると、自分が何に不安を感じていたかも見えてきました。

私は 学生時代 に土木工学を学んでいたので「社会人になればさらに土木の見聞や知識、技術力を深められ、社会貢献できると」と漠然と期待していた事を思い出しました。

しかし、特に資格をとったりする必要性の無い公務員という仕事を続けていく中で、自分がそのようにスキルアップを目指して努力できるのかという不安がありました。

ならば、いっそ土木コンサルにでも転職して、嫌が応でも資格取得などスキルアップしなければならない環境に身を置いた方が、なりたかった自分に近づけるないのではないかと思うようになりました。

また、数年置きに転勤するよりも地元に密着して仕事をしていく方が自分の性に合っているような気もしました。

こうして、私はネガティブな要素とポジティブな要素を抱えて、転職を決意しました。

転職をすると伝えた時の家族・上司の反応

転職を考えていることを真っ先に妻に伝えました。妻は私の異常な様子を見ていたためか、これといった反対もなく「ruruの好きなようにしたらいいよ」と言ってくれました。

一方、両親は「公務員を辞めるのは勿体ないのではないか?もう少し休職してゆっくり考えたらどうか」と反対気味でした。

結局、具体的な転職先のコンサルが決まってからも。「もっとゆっくり休んで考えたらどうか。」と言っていましたが、「僕は国家公務員として大きな事業を進めていけるような器じゃ無かった。地元のコンサルで地元に貢献していく方がやりがいを感じられる。」と伝えたら「そうか」とだけ言ってそれ以上は何も言われませんでした。

上司には「これからやりがいのある仕事をどんどん任されるようになるし、コンサルに行ったからといって技術力が伸びるわけじゃない。転職は一旦保留にしてみたら」と言われました。

私は、「でもチャレンジしてみたいです。また、地元に帰って働きたいという思いもあります。」と伝えました。

結局それ以上は引き留められず、淡々と転職の手続きを進めていく形になりました。

そして転職後の現在

現在転職して1年が経とうとしています。今のところ、公務員時代ほどの残業もなく、家での時間を多くとれるようになりました。その時間を利用し、資格の勉強をしたり、趣味に時間を費やしたりできるようになりました。

資格はこの1年で4つ取得しました。社会人になってからテストを受けるのは何だか新鮮な気持ちだったのを覚えています。

人間関係も良好のため、転職に成功したかなと思っています。

給料や福利厚生の面では公務員時代ほどではありませんが、生活に困るほどではないため、時間に余裕のある今の生活の方が私には魅力的です。地元に居るというのも何となく落ち着きます。

反対していた両親も今の私の方が顔が元気そうだといって納得してくれているようです。

終わりに

転職はゴールではなくスタートです。

転職を考る原因は、ネガティブな要因が大半かもしれません。

しかし、転職をする理由までネガティブである必要はない筈です。

折角、新たな人生のスタートを切るのならポジティブな理由も考えてみることが、転職成功のカギかもしれません。

転職を考えている方もそうでない方も自ら人生をエンジニアリング設計・構築して良き人生を!

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