妹を交通事故で亡くした話

雑記
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お元気ですか?

ruruです。

私は事故で妹を亡くしています。

「交通事故 遺族」と検索すると、警察のホームページの中で実際に交通事故で家族を失った方が書いた手記が多く出てきます。

そこには、加害者に対する怒りを記したものもあれば、故人を悼む内容のものなど様々です。

それらの手記全てに共感することはありませんが、しかし、自分と同じような境遇の方が書いた手記を読むことで多少なりとも自分の心を整理できたことも事実です。

だから私も書いてみる事にしました。

妹が亡くなった当日の話

令和元年12月1日。

妹が死んだ。

交通事故だった。二十歳になったばかりだった。

私には5つ離れた双子の妹(ここではM子とY子と呼ぶことにする)がいるが、そのうちの一人だった。

その日の夜、父から電話があり、病院に来てほしいと言われた。

Y子が事故にあって、病院で処置を受けているとの事だった。

実を言えば、私は病院に向かう道中は正直、そんなに心配していなかった。

退院したら「今度から気をつけろよ」と言ってやろうと呑気に思っていた。

しかし、そんな言葉をY子に伝える機会は永久に失われた。

病院に到着すると、そこには泣きじゃくるM子と母の姿、そして、深刻な顔をしている父の姿があった。父に個室の診察室に案内され、Y子の現状を伝えられた。

処置を施してはいるが、ほぼ助かる見込みは無いとのことだった。

「でも、処置をしてもらっているんでしょう?」

そんな意味の無い質問を私は父にした。父は沈黙していた。

間もなく、父と私のもとへ担当と思しき医師が来た。

父が診察室の外で泣いているM子と母を呼び、改めて医師から現状を聞いた。

「最善を尽くしていますが、頭を強打しており、また頸椎も外れているため、助かる見込みは殆どありません。呼吸や心臓も停止している時間が長くなってきています。ご希望されれば処置を継続しますが、これ以上は本人が苦しむばかりだと思います。」

しばらくの沈黙のあと、父が涙ぐみながら

「楽にしてやってください。」

と医師に伝えた。他の家族も同じ気持ちだった。

「それでは、お嬢さんの顔を少し綺麗にさせていただいた後、処置室にお呼びします。」

落ち着いた、しかしはっきりとした口調で医師は私たちにそう告げ、診察室を後にした。

M子はずっと泣いていた。父や母はそんなM子に何か声をかけていたが、未だに状況を理解しきれなかった私は、なんと声をかけてよいかも分からず、ただ沈黙していた。

医師が出てから、どれだけ時間が経過したかはわからない。ちょっとの間だった気もするし、長時間待たされた気もする。そうこうするうちに医師が再び私たちのもとに来た。

すぐに私たちは妹Y子がいる処置室へ案内された。ずっと泣いているM子に父と母は

「怖かったらここで待っててもいいんだよ」

と言ったが、M子は泣きながら首を横に振りついてきた。

処置室に到着すると、そこには横たわるY子の姿があった。顔を見ると、左目には大きな痣ができており、額や耳には血の滲んだ包帯がまかれていた。床には処置中に落ちたであろう血の痕がまだ残っていた。

その顔を見た瞬間、母は膝から崩れ落ちた。父は

「頑張ったな。頑張ったな」

と泣きながら静かに横たわるY子の身体をさすっていた。

私は、全身が痺れ、膝に手をついて立っているのがやっとだった。次から次へ涙が溢れた。

医師は、妹の口に繋がれた最後の生命維持装置をそっと外し、

「死亡確認時刻は20時40分です。」

と静かに告げた。

処置室から待合室に戻ったあとは、父が葬儀屋の手配や、後から病院に駆け付けた親戚に状況を説明したりしていた。

遺体は家族葬用の小さな施設に葬儀までの期間、安置することになった。

Y子が亡くなった翌日から早速葬儀の段取りなどが始まった。

「Y子の棺や、香典返しを選ぶ事になるなんて」

おそらく家族皆がそう感じ、そして皆泣いていた。

妹を亡くした私の思い

この出来事があって以降、私はY子に対して何ができるのかという事について考えるようになった。

というのも、普段、無宗教で生きているにも関わらず、葬儀の時だけ宗教(私の家の場合は仏教)にすがり、その“何か”をなそうとする姿勢に強烈な違和感を覚えたからだ。

これは、Y子が亡くなったから、このような感覚になったのだと思う。

言い方は悪いが、仮に自分の祖父母や両親が老衰により自分より先に亡くなったとするなら、それはある種当然の事であり、私はなんの違和感も覚えず、仏教式の葬儀を執り行い、彼らを見送っただろう。

しかし、Y子は違う。

Y子にはまだ未来があった。

Y子はその小さな身体で努力し、Y子自身が夢見てきた職業に来年度の4月から就ける筈だった。

否、別にY子の職業がどうとかはどうでも良い。

ただ、(きっと家族皆そうだと思うが)Y子の人生それ自体をもっと長い間応援できるものと思っていた。

しかしそれは唐突に叶わなくなった。

だからこそ亡くなったY子に対して、応援しきれなかった分を取り戻す意味でも真剣に何かできないかと思った。

話を元に戻すが、そう感じた結果、私は宗教にすがりその“何か”なそうとする姿勢に強烈な違和感を覚えたのだった。

仏様とか、神様とか、あの世とか、十分にテクノロジーが成熟している現代においてどうやったらそれらを心の底から信じられるだろう。

肉体の完全な死とは即ち魂の完全な死を意味する。

にもかかわらず、あの世とやらに魂だけは昇天し、極楽浄土を生きているなどという考えは、気休めにしかならない。

現代において、(特に自身は無宗教だと感じている日本人の多くにとって)死に対する宗教はただの気休めのための舞台装置にすぎないのではないか。

ある種、唯物論的ともいえる感覚を私は感じた。

しかし、Y子の尊厳を確保した形で、自身が心の底からY子の為になっていると思える具体的行動手段を知らない私は、結局、宗教にすがるという状況になる。

なぜなら、あの世を信じない以上は、そもそもY子という存在は無いのだから、「Y子に何かしたい」と思うこと自体、無理な事だからだ。

言い換えれば行為の対象が無いのだから、行為自体がそもそも成立しえないからだ。

そういうわけで、あの世がある宗教にすがる事となる。

しかしこれは、普段、唯物論的精神を持って生活していながら、Y子を想うときは宗教的になるという、矛盾を抱えることになる。

ここで断っておくが、私は別に宗教自体を批判しているわけではない。

私が批判しているのは、唯物論的精神と宗教的感覚という矛盾を抱えたままY子を想う私自身である。

では、この矛盾から抜け出すにはどうしたらいいだろうか。

その答えを得るために、仮に私が死んだとして、残された家族にその後どうあって欲しいかを考えてみることにした。

すると、答えは単純だった。

何もしてもらわなくて良かった。

ただ、私が亡くなった後も、何事もなかったかのようにいつもどおり生活していて欲しいと思った。

自分が亡くなったせいで、家族がその後の人生を悲しみにくれたものにはして欲しくないと思った。

仮にY子の生前、自分が亡くなった後の家族の人生についてどうあって欲しいかを尋ねてみれば同じような事を言うのだろうか?

今となってはそれをY子に聴く事は叶わないが、同じ事をいうような気がする。

だから私は、極力いつもどおり生活することに努める事とした。

何気ない事でY子を思い出すことはあるが、そのせいで決して落ち込む事はしないようにしようと思った。

生前のY子はいつもへらへら笑っている感じの奴だった。

だからY子をふと思い出したときにでてくる顔も笑っている。

私はただその顔を見てつられ笑いすれば良いだけなのだから。 それが無宗教である私なりのY子に対する“何か”の答えだ。

おわりに

手記という形でこうして書いてみて分かった事ですが、文章にする事で自分の感情や考えをある程度整理することができました。

悲しみに暮れすぎず、うまく付き合っていけたらと思います。

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