タイムマシンが存在する世界における死の扱われ方

雑記
スポンサーリンク

あなたはタイムマシンがあったら過去にいってみたいですか?

未来に行ってみたいですか?

私は断然未来に行きたい派でした。

”でした”と過去形なのは最近意見が変わったからです。

暗い話で申し訳ないですが、私は交通事故で妹を亡くしています。

それからというもの、気づいたら亡くなった妹の事ばかり考える日々がつづいています。

そこで、子どもみたいな考えですが、タイムマシンがあれば妹に会えるのになと思ったりもします。

それが最近意見が変わった原因です。

しかし、 私が未来人に会った事がないことを鑑みるに、まだまだタイムマシンの開発は先になりそうです。

それはさておき、仮にタイムマシンが存在するとしたら”死”はどんなふうに扱われるのだろうとふと疑問に思ったので、自分なりに答えを予想していこうと思います。

【予想1】死とは非常に軽い出来事になる

まず最初に思ったのが死というものが非常に軽く扱われるようになるのではないかということです。

私のように、生前親しかった故人にもう一度会いたいと思う人は大勢いると思います。

そして、その願いはタイムマシンで過去に遡る事で簡単に実現します。

人が親しい人の死を悼む理由は、死がその人にもう二度と会うことも、声を聴く事もできないという現実を作り出すからだと思います。

しかし、タイムマシンはその現実を簡単に乗り越えてしまいます。

そうすると、死というものは事実上存在しないことになります。

そのため、死はとるにたらない出来事となり、タイムマシンがある世界ではお葬式も殺人も自殺も消滅していることと思います。

そんな世界に住む未来人から見たら、死を悼み嘆く現在の私たちは、ひどく滑稽にみえるかもしれません。

【予想2】死は依然として重い出来事であり続ける

次は、先ほどと打って変わって死の存在の重みは不変であるとする考えです。

過去に戻って故人と話せるとしても、死というものは再び訪れます。

生物の寿命には限界がありますから、その人が寿命の限りを尽くして亡くなった後の世界に、その人と一緒に訪れることは出来ない可能性があります。

言い換えれば、自分の寿命以上先の未来には辿り着けない可能性があるということです。

例えば、祖父が天寿を全うし2020年にこの世を去ったとして、その孫は2020年以前に戻って祖父に会うことはできますが、2021年へ祖父と一緒に行くことはできないかもしれません。

タイムマシンの時間設定にその人の寿命が影響してくるとすれば、共有しえない時間を死がもたらすということになり、死は依然として重い存在であり続けるでしょう。

しかしその場合、死の意味合いは現代と異なるものと思います。

なぜなら人間はコミュニケーションをとることが出来るからです。

つまり、先ほどの例を用いれば、孫は2020年以前に戻り、祖父へ未来の様子を伝えることで、祖父の寿命を超えて未来の空間を一時的に共有できるようになります。

「おじいちゃんの好きなあの女優は2021年にこんな映画にでるんだよ」

このような会話ができるようになるのです。

2021年に孫と祖父が一緒に劇場でその女優が出演する映画を見ることは叶わなくても、その体験をコミュニケーションによって共有することができるのです。

そういった意味で、タイムマシンがある世界での死とはコミュニケーションの限界を超えることが出来ないという意味で重い出来事となるのだと推測します。

終わりに

あなたはタイムマシンがある世界で死はどのように取り扱われていると思いますか?

そんな事を考えたからといって、何か意味があるかは分かりません。

しかし、SFにはそれでも考えてしまう魅力があります。

たまには、現実的なことは忘れて、突拍子もない事を考えると新たな閃きが出てくるかもしれませんよ。

ではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました